お礼の気持ち♪

私は昭和40年巳年生まれ。
ここでブログを初めてからでもすでに9年♪
思い出の話も多く書いて来ましたが、年齢のせいか、子供の頃に周りの方々から
して貰った事がありがたく思えてなりません。
大人になって、感謝の気持ちはあっても、返す事は出来ず、だからといって同じようにも出来ていない。


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幼馴染の友達、すみちゃん♪なつかしい♪ 幼稚園頃からかよく遊んだ♪
日曜日の午前中かな、私はきっと約束もなしに遊びに行ったのだろう。
家に上げてもらって一緒にトーストを頂いた事がある。
バターがぬってあって美味しかった♪
あの頃の私にしたらとっても鮮やかな思い出。ちびくろサンボでバターの美味しさを想像した子供時代だし♪
すみちゃんのご両親には他にもよくして頂いた。
すみちゃんとは仲良しだったから、おそろいのレインコートや洋服ももらった。
仲良しでそろいの服なんて嬉しかった♪でも、私は子供の頃から太っていたからすみちゃんのほうが
よく似合っていた気がする(笑)
透明のビニールに小さいイチゴ模様のレインコート、可愛くて大好きだったけど着ると暑かったな(笑)
小学校からずっと一緒♪高校まで同じだったから、すみちゃんのパパに送り迎えして頂いたり。
すみちゃんとの子供時代の懐かしい思い出があるのは、それを見守っていてくれたご両親のお蔭でもある。



幼稚園、小学校、色んな先生に習いましたが、いい思い出は沢山♪
幼稚園の先生にはハサミの使い方を褒めてもらいました♪
   紙を切る時ははさみを動かさずに紙を動かすとか。子供の頃に褒められるのはとてもうれしいのです♪
2年生の時の真下先生には歌う声が大きいと褒めてもらいました♪
   音楽の本の「きくの花」きれいなはなよ~きくのはな~だから歌うのが好きになりました。
3年生の時の宇田先生は結婚して辞められてからもずっと文通してくださいました♪
5.6年生の時の飯島先生、放課後残って時間割表を書いた後、先生の本棚から漢字の辞書をくださいました。
3つ上の兄の担任だった体育の大島先生、夏休みの水泳の練習時、太っていた私が頑張っていい記録を出した   時にみんなの前で努力した事を褒めてくださいました。
   私は交通事故で親を亡くしていたので、当時は交通遺児と呼ばれて
   年に一回、地元の警察署の行事に呼ばれて、文房具を頂いたりしていました。
   土曜の放課後だったか、通っていた小学校では私達兄弟だけ残って先生に送迎され参加しました。
   その先生が大島先生。先生の車に乗った時の緊張や居ずらい感情は今でも思い出せます。
   地元に住んでいた先生、先生の奥様と母はその後もずっと交流が続いていました。
人に褒めてもらうって事は、イコール‘ちゃんと見ているよ’という証拠。これほど嬉しいものはない♪

   
私には‘父親を早く亡くした’ということがついて回り、普通にしていてもえらいとかがんばっていると
褒められた覚えがある。それには‘かわいそうに’という周りの人の思いやりがあったんだろうなと思う。
小さい時は褒められるのが不思議だった。‘健康に大きくなって’というだけで親孝行と褒められたりもしたのだ。
でも、そのくらいが小さい子供には丁度良いのだと思う。大切だよ、必要なんだよって認められてる証拠♪


ここに書かない先生達にも思い出はちゃんとある♪
書きながらも色々思い出したりもする。


小学生時代には、親戚の皆さんにもいい思い出を作って頂いた♪
叔父の新井さんには家に何度も招待され、プールに連れて行ってもらったり、家族旅行にも同行させて
もらってもいる。今になってもどうしてそんなに可愛がってくれたのか不思議なくらいだ。
私は親戚のおじさんだから恥ずかしかったし、そんなに愛想もよくなかったと思う。
お盆やお正月には親戚が集まり、楽しい話を色々聞かせてもらった。
ちょっと怖いけど、なんでも知ってる大人の叔父さんだった。

母方の従妹のお姉さんは、東京に出て独り暮らしをしていた時、私と兄を東京に呼んでくれた。
細かい思い出は残っていないが、豊島園と東京タワーに連れて行ってくれた。
バスで移動していた時、大きな事件が起きていて、ビルが爆発されたと後で知った。
東京タワーでは蝋人形館があって、すごく怖かった。インディアンが白人を拷問するのが再現されていて、
怖かったから今でもずっと鮮明に覚えている。

親戚の人はいつも会う度に 「○○ちゃん、よく来たね」と優しくしてくれた。
それはいまだに変わらない。私と私の息子達にも同じだ。 あったかい。

中学校に入ると、難しい年頃だったから、先生にも好き嫌いがはっきりして、
英語と数学の先生が大好きで、だから成績もよかった。小川先生には爪を噛むなと注意された。よく見ている。
中2の担任の先生は嫌いで嫌いで仕方なかった。聞く耳も持っていなかった。理由はなんだかわからない。
中2から中3の頃は学校自体が荒れていて、私もけっこう荒れていた。成績もずいぶん下がった。
その頃、よく声をかけてくれてのは用務員のおじさんの‘熊吉さん’
地元の方で、兄の同級生のおじいさんだったらしい。
いつも優しい笑顔で声をかけてくれて、卒業後年賀状もやり取りした。なんで優しくしてくれてんだろう。
中3で手芸クラブに入って、坂田先生に出会った。もう先生としてはベテランで定年間近だった。
卒業前にお孫さんができるを聞いて、赤ちゃん用のブーケを手編みしてプレゼントしたら喜んでくれた。
兄の担任をしたこともあったからか、母とも知り合いでその後もずっと気にかけてくれていたと母から聞いた。

高校でも色んな先生にお世話になったが、進路の事では先生の一言が嬉しかった。
高3では理数科の進学クラスを選択したが、私はクラスで一人、就職を選んだ。
1学期の成績が大事だっからまじめにやった。それを別のクラスの先生が認めてくれたのだ。
その時もちゃんと見てくれてるんだ、と照れ臭いが迷いが取れて嬉しかった。

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埼玉の田舎で生まれ、育ち、学び、地元で就職し、結婚し、子供を授かり、
転勤で大阪に移り住み、子育てし、働き、離婚し、、、、、今がある。

大阪に来てからは、血の繋がりのない‘近くの他人’の方々にお世話になってきた。
今ではこれから一生住む覚悟ができた住み心地のいい大阪♪

何でも鑑定団に出すような宝物は持っていないが、昔からいいご先祖さまに見守られているんだろうか。
以前、徳をつむとそれは次の世代の為になると聞いたことがある。
私が苦労もせずこうして生きているのも、私の祖父や祖母、父母の徳のおかげかもしれない。


私がしっかりしなければ、息子達が苦労するのかと思うとちょっと怖くなってしまう。
私が周りの人から受けた優しさを思うと少しでも今度は私が周りに優しくしていかないと、、、と思えてくる。

何度も母への感謝の気持ちはブログにも書いてきたが、
この年になっても母から受けた恩はどうやっても返せそうにない。
今になっても母は私の為に色々と送ってくれる。
今月末で長年してきた仕事を辞めるそうだ。昭和13年生まれ。楽をせずに今までずっと働いてきた。
この前、親戚が集まった時も、「これからは自分の為に楽しんで」と周りが母に声をかけていた。


母にも親孝行をしたいが
私に何が出来るんだろう???


思うだけではだめ。動くのが大事♪

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